アイデンティティグラフとは、メールアドレス、電話番号、デバイスID、Cookie ID、会員番号、CRMのレコードといった、ある一人の人物に紐づく識別子をすべて対応づけ、どのレコードが同一人物のものかを判定するデータ構造である。 この判定の結果を人が読める一人の顧客像としてまとめたものが統合プロファイルであり、グラフはその土台にある接続層にあたる。匿名の閲覧行動と既知の顧客を結び付けることで、チャネル、デバイス、接点をまたいで同じ人物を認識できるようになる。名寄せを実際に成立させているデータ構造がアイデンティティグラフであり、CDP(カスタマーデータプラットフォーム)では顧客データの統合とCustomer 360ビューの基盤になる。
アイデンティティグラフの仕組み
アイデンティティグラフは、複数のソースから届く識別子を継続的に取り込み、それが既存の人物のものか、新しい人物のものかを評価し続ける。
識別子の収集が出発点になる。顧客とのやり取りは、そのつど識別子を生み出す。Webサイトの訪問はCookie IDを、購入はメールアドレスに紐づく取引IDを、アプリのセッションはデバイスIDを、問い合わせの電話は電話番号を残す。グラフはこれらを取得可能なすべてのソースから集め、ノードとして保持する。
つながりの生成は、同一人物に属する識別子どうしを結ぶ処理である。顧客がスマートフォンからWebサイトにログインすれば、そのデバイスIDと認証に使われたメールアドレスを結び付けられる。同じメールアドレスで後日購入があれば、その取引データは既存のプロファイルにつながる。やり取りが積み重なるほど、識別子どうしの結び付きは密になっていく。
プロファイルの統合は、結び付いた識別子に紐づくデータを一つの顧客プロファイルへまとめる処理である。あるCookie、メールアドレス、デバイスIDが同一人物を指すと判定されれば、閲覧履歴、購買履歴、メールへの反応、アプリの利用状況といった行動データが一つに集約される。
グラフの保守は、時間の経過による精度の低下を防ぐ。メールアドレスや端末の追加、誤って統合されたプロファイルの分離、Cookieの失効や端末の譲渡に伴う識別子の扱い、新しいデータソースの追加のたびに、グラフは更新される。保守を止めたグラフは、統合の誤りを抱えたまま古びていく。
識別子を結び付ける3つの判定方法
アイデンティティグラフは、異なる識別子が同一人物のものかどうかを、3つの方法で判定する。
確定的マッチングは、既知の完全一致にもとづいて識別子を結ぶ。同じメールアドレスでノートPCとスマートフォンの双方からログインがあれば、その2つのデバイスIDは同一人物のものだと判定できる。ログイン、フォーム送信、連絡先が確認された購入といった認証を伴うイベントが根拠になるため精度は100%に近いが、認証が発生するまで匿名の識別子を既知のプロファイルへつなげられない。
確率的マッチングは、確実な根拠がない場合に、統計モデルと機械学習で結び付きを推定する。IPアドレス、ブラウザの構成、位置情報の傾向、行動の類似性、時間帯の相関といったシグナルから、2つの識別子が同一人物に属する確率を見積もる。同じIPアドレスから同じ時間帯に同じアカウントへアクセスするノートPCとスマートフォンであれば、共通のログインがなくても高い確信度スコアが付く。
推移的マッチングは、直接の根拠ではなく、既存のつながりの連鎖から結び付きを導く。識別子AとBが高い確信度で結ばれ、BとCも別途結ばれていれば、AとCの間に直接の一致がなくても同一人物と推定できる。個別の一致をひとまとまりのプロファイルへ育てるのはこの処理だが、同時にリスクも集中する。連鎖のどこか一箇所が誤っていれば、無関係な人物が一つのプロファイルに統合されてしまう。
実運用のアイデンティティグラフは、この3つを組み合わせる。確定的マッチングが高い確信度の骨格を作り、確率的マッチングが認証のない識別子まで対象を広げ、推移的マッチングがそれらをより大きなまとまりへつなぐ。条件になるのは、各段階で確信度スコアを保持しておくことだ。下流のシステムが、マッチングの質に応じて扱いを変えられるからである。
ファーストパーティデータとアイデンティティグラフ
サードパーティCookieの制限とプライバシー規制の強化により、アイデンティティグラフの品質はファーストパーティデータの厚みで決まるようになった。会員登録、ロイヤリティプログラムへの加入、アプリのインストールなど、認証を伴うやり取りを増やせる企業ほど確定的なシグナルが集まり、グラフの精度は上がる。プレファレンスセンターやアンケートで得られるゼロパーティデータは、顧客が自ら申告した属性としてグラフを補強する。
グラフは、誰が構築するかによっても性質が変わる。サードパーティのアイデンティティグラフは、外部のデータ事業者が多数の企業から識別子を集めて構築し、マッチング結果を各ブランドに提供する。自社の顧客基盤を超えて到達範囲を広げられる一方、マッチングのロジックも元データも自社の手元にはない。ファーストパーティのアイデンティティグラフは、自社の顧客データを自社の環境で結び付けたものである。到達範囲は狭くなるが、精度、所有権、持続性で勝る。同意にもとづく認証済みデータで構築したグラフは、サイトを横断した追跡に依存するグラフよりも長く使え、規制環境の変化にも耐える。
アイデンティティグラフに含まれる個人を特定できる情報(PII)の保護は、グラフを作ることと同じ重みを持つ。識別子を一つ結ぶたびに個人の像は詳細になり、その分だけ漏洩時の被害とGDPRやCCPAのもとでの義務は大きくなる。顧客が同意を撤回した場合、その意向は統合済みのプロファイルに紐づくすべての識別子へ伝播させなければならない。実装の手順は、CDPのアイデンティティグラフで名寄せとプライバシー対応を両立させる方法にまとめている。
CDPはアイデンティティグラフをどう構築するか
CDPにとってアイデンティティグラフは中核の構成要素であり、その作り込みの差がそのままプロファイルの質の差になる。
顧客がメール内のリンクをクリックしてサイトに着地したとき、グラフをリアルタイムで更新するCDPは、次のバッチ処理を待たずにそのメールへの反応と直後の閲覧セッションを結び付ける。同じ判定をマーケティングの各チャネル、カスタマーサポート、店舗のPOS、モバイルアプリ、Webへ広げれば、店舗のロイヤリティカード、オンラインの会員アカウント、アプリのプロファイル、メールアドレスが一つの顧客像にまとまり、チャネルによらず一貫したパーソナライズができる。
難しいのは統合の判断のほうである。グラフは、別々の2つのプロファイルを統合すべきだ、あるいは統合済みのプロファイルを分割すべきだという示唆を出すことがある。典型的な失敗は、家族が一台の端末を共有している場合だ。そのため近年のCDPは、統合の確信度を機械学習でスコア化し、判断が割れる候補は自動で統合せず確認対象として提示する。そしてこの判定は、膨大なデータ量の上で成立させる必要がある。エンタープライズのアイデンティティグラフは数十億のノードと数兆のエッジに達することがあり、リアルタイムのパーソナライズやアクティベーションを支えるには、その構造に対してサブセカンド(1秒未満)の応答が求められる。
AI時代のアイデンティティグラフ
AIによるパーソナライズとエージェンティックマーケティングが顧客接点の中心に移るにつれ、アイデンティティグラフの役割は重くなる。AIエージェントは、目の前の相手が誰で、これまで各チャネルで何をしてきたかを踏まえて次の行動を選ぶ。その前提になるのが、正確でリアルタイムに更新されるグラフである。
グラフが不完全であれば、エージェントに見えている顧客像も断片的なものになる。見当違いの推奨や、同じ内容の重複した接触、取り逃す機会は、そこから生まれる。AIが提供する体験の質は、アイデンティティグラフの質を上限とする。
グラフとAI意思決定、アクティベーションを同一のプラットフォームに置くCDPでは、エージェントが顧客とやり取りしながらグラフを参照し、その結果を即座に書き戻せる。エンゲージメントの結果が次の判断の入力へ戻るこの閉じたループが、継続的な学習と最適化を成り立たせる。
FAQ
アイデンティティグラフと名寄せの違いは何か
アイデンティティグラフはデータ構造であり、名寄せはそれを構築し維持するプロセスである。 グラフは識別子とその結び付きの地図であり、顧客ごとの統合プロファイルの土台になる。名寄せは、マッチングのアルゴリズム、プロファイルの統合と分割のルール、識別子の結び付きの継続的な保守までを含む。グラフが成果物、名寄せがそれを生み出し更新する工程にあたる。
確定的マッチングと確率的マッチングはどう違うのか
確定的マッチングは検証済みの完全一致で識別子を結び、確率的マッチングは統計モデルで結び付きを推定する。 前者は、2台の端末で同じメールアドレスによるログインがあった場合などが該当する。精度は100%近いが、認証イベントがなければ結び付けられない。後者はIPアドレス、デバイスの特性、位置情報、行動パターンから推定するため対象範囲は広がるものの、確信度スコアは通常60~95%にとどまる。多くのアイデンティティグラフは、この2つに推移的マッチングを加えて併用する。
アイデンティティグラフは世帯やB2Bアカウントにも使えるのか
使える。個人の識別子だけでなく、世帯やビジネスアカウントを単位としたグラフも構築できる。 世帯グラフは同じ住所を共有する家族をまとめ、同一世帯への重複したオファーの抑制や世帯単位の支出分析を可能にする。アカウントグラフは複数の担当者を一つの企業に紐づけ、B2Bでのアカウント単位のエンゲージメント追跡を支える。保険契約と契約者、車両と運転者といった業界固有の関係をモデル化するカスタムエンティティグラフもある。
Related Terms
- Entity Resolution:アイデンティティグラフが顧客の識別子に適用している、より広いマッチングの考え方
- Golden Record:一致したレコードをグラフが統合した結果として残る、唯一の正となるプロファイル
- データガバナンス:グラフ内のデータの正確性とコンプライアンスを保つための方針と統制
- Real-Time CDP:届いたイベントをミリ秒単位でグラフへ反映するCDPのアーキテクチャ
- 同意管理:どの識別子をグラフ内で結び付けてよいかを決める、同意の記録と反映の仕組み